ガム飲んじゃう。

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学力と知性と人間性と【畑山】

こんにちは、畑山です。連続二本立てで更新します。

と言うのも、自分が更新しない間に色々思うことがあったので、少々お付き合いいただければと思います。

大変個人的な話で、読まれる方にとっては不快に思われてしまうことを危惧しておりますので、追記にて。

 

 

先日、そこまで親しくない方々とお酒を飲む機会がありまして、そこでお話しした方が有名大学出身でした。

その方は出身大学が有名であること、学力が上であることを鼻にかけていらっしゃり、ことある毎に大学での話をしていました。

正直なところ、自分は学歴コンプレックスが強いので、悔しいと言いますか、情けない気持ちに。自分ってダメだな、頭が良ければなと思いました。

 

でもふと、「この悔しさは何だろう」と考えたのです。

彼が非常に優れた結果を出し、学士として十分な研究成果を出したぐうの音も出ない人間なら劣等感を持たなかったかもしれません。じゃあなぜ悔しいのか?

 

単純に、その方の学歴と人間性がちぐはぐだったからです。

彼のお話はユーモアや、人を笑わそうとする気持ちが無く、自分の力の誇示や他人の扱き下ろしが目立って、とても良い人間性であるとは言えませんでした。

自分が彼のそういった面しか見れなかった可能性だってありますね。それなら本当に失礼な発言です。

しかし、他の方々が俯いてスマホ画面を見つめる姿を見てしまうと、やはり彼が関心を向けるに値しない証拠なんじゃないかと踏んでしまいます。

 

 

一応彼は有名大学出身なので、学力はある。でも、学力って知性とは別物だったりしませんか?

 

学力:学習する能力

知性:今までの学習内容を実生活に反映できる能力

 

学力は「頭がいい」ことであって、知性は「賢い」ことなんじゃないかと考えています。どっちか片方あればいい訳ではなく、両方を備え持ってやっと人間性が完成するのかも。

学力が人間としての土台を作り、知性が豊かな人間性へと昇華する。どんな人間でもそうやって活動しているんじゃないでしょうか。

 

 

彼が学んだこと(学力の賜物)はわかっても、学習を通して彼がやってきた研究(知性の賜物)は全く見えてきませんでした。

自分は「いい大学行ったのにそんなザマなのか」と思ってしまいました。

彼はきっと世間で言う「頭のいい人」なのでしょう。社会的に重宝される存在であり続けるかもしれません。「知性を得ないまま彼は大人になっていくのだろうか?」と他人ながらも心配した日でした。