深夜のエッセー【村長】
二十歳を越えてからというもの、何かが変わることが、
なんだか恐ろしくなってしまった。
昔の本を読み返せば、何とも思わなかったはずの句読点の位置が気に入らない。
子供の頃、あれだけ好きだった夏は、今では、晩夏の夕暮れの寂しさばかりが浮かぶ。
実家に帰れば、母の手の皺が増えたような気がして、少し切なくて。
なんてことのない変化が
少しずつ苦しくなってきた。
感情の変化もそうだ。
人に会うことや、アーティストの新曲を聴いたり
好きな監督の映画を見に行くことが
嫌で嫌で仕方ないことがある。
確かに、考えを変えてしまうほどの衝撃や作品に出会うことは、とても素晴らしい事だと思うし、
今の自分の考えにプライドを持っているわけでもない。
ただ、その衝撃を受けるという、未来が面倒なのだ。
「歳をとると考えが固くなっていくけど、若い人は柔軟だから沢山吸収できるんだ」
そんな話は何度も聞いたことがあるだろう。
あれが本当だと、今さら知った。
それでも僕はおそらく若い。
面倒で仕方ないのに
まだ色々な事を諦めていないから
思考とは反対に、その衝撃に心は踊り、こっそり後をついていってしまう。
導かれたその先で、いつも思う事は
過去の自分への嫌悪だ。
きっと僕は進化し続けている。
なぜなら、過去が嫌いだからだ。
そう、新しい自分になること
これはつまり過去の自分を否定する作業だ。
何かを得て、また捨てて、
おそらく成長しているはずの自分。
これ見よがしに、未来に進んでると言わんばかりの他人を横目に見ながら
僕は
この作業をあと何度繰り返すのだろう。