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村上春樹ノーベル文学賞とれなくても別によくね?【村長】

村長です~

毎年ノーベル文学賞の時期になると
決まって村上春樹が受賞するかしないか話題になりますよね

と、言うよりも
それを楽しみにしているハルキストたちの様子がよくテレビ流れることが多い

確かにノーベル文学賞という世界的な賞を
自分の好きな作家がとったら
嬉しいだろうとは想像できるけど
そんな海外の賞を期待するのはナンセンスだと
外国語文学を学問としてほんの少し齧った人間として思ってしまいます



まずノーベル賞文学賞
スウェーデンアカデミーが審査を担当していて
公的には審査方法は発表されてないけれども
インターネットで軽く調べたところによると
審査員の母語の翻訳で読んで最終的には多数決で決まります

ここで言いたいのは
海外に作品の本来の言語ではない言語で
読まれたものが
評価されたり、されなかったりしたとして
なんの意味があるのでしょう?
ってことです


翻訳される時には、訳者の創作的な部分が大きく関わって来ますよね。
そりゃあ直訳じゃあ面白味もない文章になりますしね。
それを改悪とも順応しているとも
断言できませんが

原文と翻訳が「違う」ものだ
ということはハッキリ言えますよね

もちろん翻訳が悪いとは言っていません。




ナポレオンの名言にあります

「我輩の辞書に不可能と言う文字はない!」

あれって実は元の言葉は
Impossible n'est pas français
(スマホで打ってるので綴りはあとでなおします!)

英語にすると
Impossible is not French

つまり
不可能はフランス語ではない
不可能はフランス語的ではない
という意味になるんですよ

最初はなんでこんな訳しかたしたんだろう?
と思ったんですけど
辞書という言葉をいれることで
直訳よりもニュアンスがすごくよく伝わってくるんですよね

しかし!
「我輩の辞書」と
「フランス語」じゃあ
不可能がないということの対象が
ナポレオンだけなのか、フランス国民なのか
意味合いが大きく変わってしまいます


ニュアンスを正確に伝える訳というものが
本当に難しいのです

じゃあ原文に沿った直訳でいいじゃん?って
人がいたらそれも少しおかしい。

元の巧妙な文章をただ直訳して
平坦なものになってしまったら
それは違う文章ですよね?

そう。
言語を変えた時点で
原文と翻訳は
「違う」ものであって
評価される以前の問題なのです


その他にも
国語の響きも文章に大きな影響を及ぼします
みなさんは

愛してる

I love you

Je t'aime

が全部同じに聞こえますか?見えますか?

そんなことはないでしょう。

日本語には日本語の響き
英語にはスマートな響き
フランスには美しく少し力の抜けた響き
ドイツ語には尖った荒々しい響き
中国語には高い成分の多い響き

言葉にはもちろん文字の情報だけじゃなく
音の響きがあって
それも文章の印象を変えます



人間は国ではなく、国語に住むのだ
とはよくいったもので


それだけ国語というものが
深い人間のアイデンティティーであり

その国の人間が作る作品のアイデンティティーとして
本当に重要なものだと思います


だから
ハルキストよ
日本語がわかる人間にこれだけ
評価され愛されているのだから
別物の作品が評価されなくたって
いいではないか!
と言ってあげたい

まあ、自分の村上春樹読んだことないんですけどね