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女が男を殴るのはいけないことなのか?【男らしさ・女らしさとは?】

村長です。男です。

 

ネットを見ていると日本でのLGBT差別への関心は

ここ数年で急激に高くなっていますね。

 

最近だと、某議員の「LGBTは生産性がない。」発言や

テレビでは、イケメンのゲイの方を「ゲイにしておくのはもったいない!」と表現して炎上していました。

(どんなジャンルでも毎日ネットのあちこちで「〇〇炎上!」みたいな記事を見るので、本当に全部炎上なんかしているのかと思ってしまいますがw)

 

つまり日本では、「性」というものへの「多様性」が

認められつつあるわけです。

男は女として生きていいですし、女は女と愛し合ってもいいんです。

 

それでは

 

世界が今、性の多様性を認めてはいるとして

果たして人間は多様性を求めているのか

 

いえ、求めてないですね。

そんなことをしてしまったら、世界は同性愛だらけになって

子供ができず人間は絶滅してしまいます。

 

 

本題に入りますが

今の日本では

男は男性的であることと、女は女性的であること

求められています。

 

男に対しては

弱いよりは強い方を、

なよなよした泣き虫よりは、人を引っ張っていくようなリーダー的存在を

評価する傾向にあり、

これがいわゆる「男らしさ」ですよね。

 

対して「女らしさ」は

淑やかな方をよく指します。

 

果たして

「男らしさ」・「女らしさ」という考え方は差別になるのだろうか。

 


例えば

しばなんチャンネルという、かなり有名な夫婦のYouTubeチャンネルがありまして、

ある動画でゲームアプリの紹介をしていました。

(好きなYouTuberなのでこんな話題で出すのは申し訳ないですが・・・)

 

そこで夫のしばゆーが

そのスマホゲームでせっせとポイントを貯めていたのですが

隣にいた妻のあやなんが勝手にそれを消費した時に

夫のしばゆーが、「おい」と軽くツッコミで妻の頭をパーの手で叩いたんですよ。

 

私は特に何も思わなかったのですが

コメント欄を見てみると

 

おそらく女性の意見で

「女の人の頭を叩いちゃだめだよ!」

「子供の前でお母さんを叩いちゃダメ!〇〇ちゃんもお母さんを叩かれて泣いてるよ!」(妻のあやなんはその時子供を抱っこしていました)

 

こんなコメントで上位は溢れかえっていたんですね。

 

え?そんなに非難することか?とは思いましたが

世間的にはそうなのかもしれませんね。

 

 

これは男が女に暴力を振るってはいけないという

社会の観念が強く出ているケースで

男が男らしくないとされていることしている例でもあります。

 

もし

駅の改札前で

あるカップルの女が遅刻した男を

「なんで遅刻してんのよ!」と

ビンタしていても

周りの人から見れば

おそらくコメディのように映るでしょう。

 

 

それではこの構図を逆にしてみます。

「男が遅刻した女をビンタする」

 

これを見た通行人は

「強い者が弱い者に暴力を振るう」という光景に映ります。

 

それはあなたの主観の妄想だ!と言われたらどうしようもないですが・・。

 

もしもボックスでもあれば

先ほど紹介した動画で

妻が夫の頭を小突いて全く炎上していない世界にでもいけたら

違いを証明はできるのですが、それはできないので

主観で言わせてもらいます。

 

 

ひと昔の話になりますが

ジャガー夫妻なんて基本的に

完全に前者の例でテレビで笑いをとっていましたよね。

夫が少し生意気な事を言って、プロレスラーのジャガーさんが夫の首を絞める、と。

これプロレスラーの夫が一般人の奥さんの首を絞めていたら

大問題になっているでしょうw

 

 

つまり男女の性のあり方というものに

多様性が認められてきましたが

「男とはこうである」「男とはこうあるべきである」とか

もちろん「女はこうあるべきだ」

というものも

人の心の中に存在しているわけです。

 

え、じゃあ多様性って何なの?ってなりますよね

男なんだから!とか女のくせに!とかで

人の評価が変わってしまうのはおかしくないか?って。

 

それは大きな勘違いです。

確かに性の多様性は広がってきましたが

認められているか、求められているか

というものには

大きな違いがあります。

 

世間一般的な性の嗜好をもつマジョリティからの視点で見ると

 

多様性を認めるということは、

「当事者の外の者から」しかできません。

つまり直接関わることのないものであり、「手にする必要はないもの」

となります。

 

男らしさ・女らしさを求めることは当事者に

直接関わってくるもの=「手にしたいもの」なのです。

 

図で表しますと

 

f:id:nikutubokarubi:20190424013651j:plainつまり男らしさ・女らしさが求められるということは

男らしい男がモテるという「需要」であって

マジョリティの人たちの人生に直接関わってくるものです。

 

対してLGBTに寛容な社会をマジョリティの人たちが

認めているからといって

街中の人が同性愛の人間で満ち溢れることを求めていませんよね。

 

そしてLGBTの方は認める以前に、自身の地位を確保するために

LGBTに寛容な社会を「求める」必要があります。

 

つまり男らしさや女らしさは、性差別とは

次元の違った話になってきます。

 

もし男らしさや女らしさが強要される社会であれば

性的な偏見ではないかという議題にあげることができますが

今の時代、~らしさを法律などで強要されることはありませんよね。

 

対してLGBTの方は法的に認められず

結婚をすることが強制的に不可能であるからこそ

これは差別であり、改良すべき点だと言われるのです。

 

それではなぜ男が法律などで強制されていないのに

男らしくなりたいかというと、

そっちの方が需要がある、つまりモテるからなんですね。

 

 

もちろん、男らしくない男が好きだ!という女性もいますし

二次元限定であれば、BLやレズビアン的な表現が大好きだ!という

人もいます。

 

でもいくら二次元でBLが好きだからといって

その人がホモビを見たり、同性の人と付き合いたいのかと言われたら

それは珍しいでしょう。

 

 

つまり男らしさ・女らしさとは

世間の恋愛的な需要、もしくは人間の指標となるような需要であって

性差別ではないんですね。

欲しいものが欲しい!というのは欲望の一つなので

差別ではありませんし、否定することもできません。

 

髪が臭くて口から異臭のする男よりも

清潔感のあってさわやかな男と一緒にいたいのと変わりません。

 

前から男らしさ女らしさの逆転である

草食系男子や肉食系女子がいますが

それを需要とする人達が増えてきたからでしかありません。

(ていうかそんな人たち大昔からずっといるだろw)

 

というわけで、

男らしくなさい!女らしくありなさい!

と言われたら

それは「社会に迎合しなさい!」という忠告ではありますが

この世の中には色々な需要があるので

男らしくなくたって

女らしくなくたって

そんなのは自分自身の好きなようにすればいいのです。

 

もしそんなことで悩んでいる方がこの記事を見ていたら

そう思っていただきたいです。

どんなあなたでも好きになってくれる誰かがいるはずです。

 

 

【結論】

女を殴るような男は

「弱い者を暴力で制する男」として批判されるし

殴られた女がかわいそうなので炎上する。

 

男を殴るような女は

「生物学的に強いとされている男を制する女」という需要を持っているし

筋力の弱い者に殴られた程度でブチギレする器の小さい男に需要はないので

前者よりも非難されにくい。

 

 

まあ男でも女でも

 

人を殴っちゃいかん。